Something So Right

大洗在住のSEなおっさんが趣味の楽器いじりや模型製作、万年筆いじり、サイクリングその他について書いています。

ドタバタしてました。

最後に書いたのは6月ですか。

 

仕事でバタバタしていた・・・というか、尻拭いがあまりにも大変で精神的な余裕をなくしているところに、父が倒れて医者からいきなり「もう手の施しようがない」と言われ、母のサポートも含めてバタバタしてました。

 

仕事のことはあまり書きたくないんで省略します。

 

うちの父は88歳で、脳梗塞を1回、心筋梗塞を2回やった割に元気いっぱいで、毎日散歩やらトレーニングをしていました。歯なんて全部残っていて虫歯も入れ歯もなし。私より遙かにストイックな生活を送っていて、長生きするんだろうな、長生きしてほしいなと思ってました。

 

ところがある日、母と散歩がてらドラッグストアに行った時、いきなり転んだそうです。しばらく休憩をしてから自力で帰宅した翌朝、右足が動かしづらいと言うので、すぐに病院に行かせました。そしてそのまま入院。病院からはコロナ対策のため面会は不可と言われました。

 

入院した翌日は治療のおかげか右足も普通に動くようになり、母や私に必要なものを要求してきました。父は英語の勉強が趣味なので、ペンとノートくらいでしたけど。

 

この時は、すぐに退院してまたいつもの日々に戻るんだろうなと思ってました。

 

入院した翌々日、母から電話がかかってきました。父が意識不明、重度の脳梗塞心不全で手の施しようがない状態で死ぬのを待つしかないと。

 

いやいやいや、点滴打ったら元気になってたじゃないか。普通に電話で会話もしてたじゃないか。

 

医者曰く、脳梗塞の治療をすると心不全が悪化し、心不全の治療をすると脳梗塞が悪化するんだとか。多分駄目だろうけど、奇跡的に効くかもしれない治療があるから処置をしてもいいか?と担当医師から問われ、私は少し悩んでから拒否しました。もう助からないなら、静かに逝かせてやりたかったからです。前に本人からも、あれこれするなと言われてもいました。

 

それから少し経ち、母も私も眠れない日々を過ごしてました。一人でいるのが好きな私はともかく、結婚してから60年以上もずっと父と一緒だった母は一人でいることに慣れないようです。幸い、友人達がいるのである程度は寂しさは紛れているようですが。

 

今はどうなっているのかというと、父は意識は戻り、左手は動くけれど意思の疎通はできないそうです。もう少ししたらリハビリ用の施設に移るんだとか。まぁ、治らないのにリハビリも何もないんですがね。

 

姉が死んでから、定期的に旅行をプレゼントしたり、こないだも遠方の友人に会いに行かせたりして良かったなぁ~と思いつつ、なかなか数奇な人生を辿った父のことをほとんど知らないことや、寿司屋を継がなかったことを後悔しています。父の知識や技術が途絶えてしまうのは損失だなと。まぁ、私ごときが継げるとは今も昔も思っていませんがね。

 

しばらくは父の入院費を稼ぎつつ、母のサポートも頑張り、私もあまり落ち込まないようにしようと思います。

 

しかし、つい何週間か前に会ったのが最後になるとは。まだ現実感がありません。

 

ほなほな。