Something So Right

大洗在住のSEなおっさんが趣味の楽器いじりや模型製作、万年筆いじり、サイクリングその他について書いています。

涸沼までサイクリングしてきた

2023/11/23(木)は夕日の郷 松川で「秋の収穫感謝祭」が行われました。天気も悪くないですし、せっかく自転車を買ったのでサイクリングしてきました。

 

涸沼の様子。会場は他の人が写ってしまうので撮影はなし。

 

自転車はTREKの7.4 FXにしました。

 

前回記事にした後、ペダルには安全のため、リフレクターを取り付けてあります。

 

ルート検索には自転車NAVITIMEというアプリを使いました。ちょっと反応が鈍い気がした以外は満足です。

 

行きはこんな感じ。

 

とにかく、坂が多いんですよ。傾斜がきつかったり、坂が長かったり。そもそも、仕事柄運動不足になりがちで、さらに年齢が年齢なので、衰えっぷりにちょっとショックを受けました。20年くらい前は毎日、30km以上走っていたのになぁ。

 

会場では魚介類や野菜が売られていて、野菜はけっこう安かったです。大洗でおなじみのカノウヤさんやセリシールも出店していました。地域おこし協力隊の現役メンバーやOBの方もスタッフとして働いていました。

 

知り合いに挨拶したり、水分補給をしたり、会場内を見て回った後、スティック芋を買いました。これで100円です。

 

既に満杯なのにさらに乗せてくれました。私はねっとりしたサツマイモは苦手なんですが、これはホクホクしていて好みでした。飲み物がないと辛い系です。うっすらかかった塩が甘みを引き立ててました。

 

そしてセリシールの特製餃子。

 

噂は前々から聞いていましたが、出店に行った時点で予約が殺到、リピーターも続出していました。小籠包かと思うくらいジューシーで、繊細な味わいでした。材料の味が堪能できるというか。今まで食べた中でトップ3に入る味です。

 

帰りは坂道が少ないルートにしました・・・が、これがけっこう大変というか、何というか。データが古いのか、道がなくなっていたり、封鎖されていたりしていて、一番困ったのは幅が1mもない田んぼの畦道を指定されたこと。あと、1/3くらいは舗装されていない砂利道でした。

 

一応、交換用のチューブは持参していたものの、パンクの恐怖に怯えながら走りました。確かに、坂は少なかったですけどね。

 

今回得た教訓は・・・

  • 自分の老い、衰えを受け入れること。
  • 帰りのことを考えて無理しないこと。
  • 水分補給はすごく大事。
  • 雨上がりの未舗装路を走るときは泥除けが必要。
  • アプリのルート検索は過信しないこと。
  • 上着を入れたりするためにリュックを持参したほうが良い。

といったところですかね。

 

一応、毎日自転車に乗るようにはしていますが、週末、大洗にいられる時は10km以上走って、ある程度自信がついたら東京に行ってみたいと考えています。

TREK 7.4 FXその後

ついこないだまで暖かかったのに、一気に寒くなりました。夜は毛布が必須です。

 

リサイクルショップで買ったTREK 7.4 FXのその後です。点検と修理から戻ってきて今はこんな感じになりました。

 

お店に依頼したのは

です。戻ってきてからは絶好調です。そしていろいろとカスタムをしました。

 

ハンドル周りはライトの位置をずらして、ロードバイクの師匠から誕生日にいただいたKNOGのベルをつけました。レックマウントのマウントキットも取り付けています。

 

ペダルはシマノのPD-GR500に交換しました。漕ぎ心地が良いです。近々、身の安全のためにリフレクターをつけます。

 

サドルは一部破れがあったのでカバーをつけてます。クッションが良い感じです。

 

U字型の鍵は取り外してブレードロックにしました。後はロックブロスのバッグを何となくつけてます。中にはまだ何も入れてません。ブレードロックは思ったより短くてちょっと不便。

 

最近ロードバイクに乗り始めた友人からの誕プレ。スマホは2台持ってるので片方はこっちに入れます。

 

自転車のカスタムって面白いですね。楽器の改造と同じくらい楽しいです。ロードバイクの師匠からペダルレンチをお借りしたので、Amazonで買ったロックブロスのペダルをPanasonic電動アシスト自転車につけました。

 

車体がゴツいのにペダルだけスポーティで違和感があります。が、乗り心地はかなり良くなりました。

 

神経障害のため医者からランニングもウォーキングも禁止されているので、サイクリングは私にはうってつけです。まずは大洗町内、それから水戸やひたちなかに足を伸ばして、ゆくゆくは東京までサイクリングするのが今の目標です。

 

ほなほな。

大嫌いだった姉が死んだ

大嫌いだった姉が死んだそうです。享年53歳。

 

先週、親が会ったばかりだったのに、今朝、冷たくなっていたようで。大人になって発症した癲癇以外、これといって病気もしていなかったのに、心臓突然死で逝きました。

 

まぁ、苦しまずに逝けたことは本人にとっても、老いた両親にとっても良かったのではないかと思います。親には「最後の親孝行だよ」と言っておきました。

 

私はと言うと、電話口で親が号泣するのがとてつもなく辛かっただけで、姉の死に関しては特に思うことはないです。涙も出ません。大嫌いで心の底から憎んでいた割に、嬉しさもないですね。

幼少時代

私には兄がいて、早くに亡くなりました。それもあって姉が生まれた時は両親はもちろん、祖父母も大喜びだったそうです。そして、私が生まれた時は男だからまた兄のようになるかも、という理由で喜ばれなかったんだとか。不安だったんでしょうね。

 

姉の可愛がられ方は、日本舞踊など習い事の数々、節目節目の祝い事の規模(レストランを貸し切ったりしていた)から羨ましいな~と思ってました。私は何もなしでしたからね。面白いのは、当時撮影した8ミリビデオの映像。両親は私を撮ろうとしているのに、姉が私を突き飛ばしたりしてるんですね。聞けば、赤ん坊の頃に私の顔にトイレのスリッパを置いたりしていたんだとか。上の子あるあるってやつかも?

 

学生時代

小学校に入るくらいになると、姉は憎悪の対象になってました。教科書とかを何故か姉が盗んだり隠すんですね。犯人はバレバレで証拠があっても姉は決して認めず、謝らない。これは死ぬまで変わりませんでした。おかげで、机などにトラップをしかけるのが得意に。ちなみに姉の盗みはだんだんエスカレートして、施設に入る前は財布から金やカードを盗むようになってました。

 

思い出深いのは、姉が入っていた合唱団に私が入らされたこと。「◯◯の姉」という見られ方をされるのは、性格的に受け入れられませんでした。常に比較され、両親や合唱団関係者からの「姉に比べると弟はダメ」という評価に姉はますます付け上がり、家にいるのが嫌で嫌で仕方がなかった記憶があります。高校を出るまでずっとそんな感じ。

 

姉は姉で、学校の勉強がダメで、親が雇った家庭教師が「弟さんを教えたい」と言ったりしたから、私に対して劣等感を抱いていて、それが嫌がらせの原因になったのかもしれない、と今になって思います。

 

社会人時代

私が大学に入ってすぐ、姉は結婚しました。寿司職人と結婚させて家を継がせる親の野望があっさり潰えたのと、結婚相手がしょうもない人間だったことで両親は落ち込んでいました。それまでの人生で最高の思い出が、大金が入った財布を拾ってそれで豪遊したことって奴でしたからね。

 

私が一人暮らしをする前に姉が嫁いだことで平和が訪れたかというと、全然そうではなく、姉の旦那が出張する度に実家に戻ってきたり、姉の勤め先の病院で健康診断をさせられて、嘘の結果を両親に吹き込んで、それが会社に伝わって重要なプロジェクトから私が外される~なんてイベントが定期的に起きていました。

 

一番思い出深いのは、子供ができなかった姉が犬を飼い始めて、私が使ってた茶碗にドッグフードを入れて犬に食べさせてたことかなぁ。その犬が死んだ後、姉が、父が営む寿司店の売上を持ち逃げしたことで姉と疎遠になり、しばしの平穏が訪れたのでした。

 

病んだ姉との日々

ある日、家に電話がかかってきたんですよ。出てみたら、最初から罵られまくって、さすがに私もカチンと来て、まず名乗れと言うと、姉の知り合いとのことでした。家族のくせに姉を助けないのか~と言われ、「いやいや、家の金を持ち逃げしてから音信不通なんだっつーの」と伝えると、「とにかく来い」と。

 

仕方なく母と埼玉県の某所に行くと、何故か姉が住んでいたマンションではなく平屋の一軒家に連れて行かれました。そこは電気もガスも水道も止められたゴミ屋敷で、姉はそこで犬2匹と暮らしていました。あの犬達は本当にかわいそうだった。

 

役所や警察、近くの病院に聞いてわかったのは、ペットロスが原因で姉が精神を病み、手に負えなくなった姉の旦那は借りた家を座敷牢として使っていた・・・ということ。久々に見た姉は、即身仏みたいに痩せてました。収入もなく水道も止められていたので万引きを繰り返し、付近のスーパーやコンビニは出禁、精神病薬目当てで掛け持ちしていた病院の治療費は踏み倒し、薬局から薬を盗んだとかで要注意人物になってました。姉の旦那が保険料を払っていなかったんで、とんでもない金額になってました。

 

全額、私が払いましたよ・・・orz でないと診察もしてもらえなくて。

 

ちなみに姉の旦那はマンションで悠々自適な暮らしをしていました。(笑) 役所の人間からは完全にマークされていて、姉が施設に入った後、散歩がてら実家に行ったら更地になってました。南無~

 

仕方なく、私は家に姉を引き取って、親と姉の面倒をみることにしました。あの頃は、まさに地獄でした。飢えた状態が続いていたからか、食事を与えた直後でも誰かが食事をしているのを見ると暴れ出し、油断すると冷蔵庫の中は空に。常に監視しなければならないので父の寿司店は休業することになりました。ちなみに、姉の分だけで毎月の食費は16万以上かかってました。

 

あと、薬を欲しがってよく暴れてましたね。スイッチが入るともう大変でした。試しにラムネやサプリメントを与えると、薬だと思いこんでおとなしくなりました。そこまで馬鹿になるのか?とオーバードーズの恐ろしさを痛感しました。その他は、水を出しっぱなしにしてあちこち水浸しにしたり、幼児でもやらないような悪戯を頻繁に繰り返してました。

 

そんな生活が長続きするはずもなく、ある日、とうとう父が倒れました。元々、脳梗塞心筋梗塞を患ってましたからね。私もかなり精神的に荒んで、同僚たちには迷惑をかけていました。暇さえあれば、合法的に姉を殺す方法を考えてました。両親も姉との心中を考えていたそうです。

 

父が倒れた後に、姉を役所から紹介された精神病院に入院させました。一時金で25万くらい払わせられたんだっけかな。そして、父が退院した日に、新宿からタクシーで父と一緒に帰る途中、精神病院から「受け入れ拒否する。急いで迎えに来い」と連絡が。父を寝かせた後、慌てて練馬の某病院まで行くと、何故か3時間待たされて、よくわからない理由で姉は退院になりました。Googleの口コミで低評価なだけのことはあります。

 

究極の選択でしたね。親を選ぶか、姉を選ぶか。

 

姉を連れて帰ったら、破滅しかありません。私はともかく、両親は限界を迎えていました。そこで、私は、電気もガスも水道も止められた平屋に姉を押し込んで、姉を置き去りにしました。役所の人間からは当然、盛大に叱られました。でも、私にとっては両親の方が大事でした。どれだけ罵られようと、どれだけ詰られようと、何を言われようと、私は両親を守りたかったんです。

 

「もう面倒は見きれないから置き去りにした。俺がそう決めた。二度と家には入れない」と両親に伝えた時は、何も言われませんでした。大嫌いな人間とはいえ、正直、辛かったです。

 

施設へ

姉を置き去りにした帰りに、役所に連絡を入れつつ、私は知り合いの議員に相談をしました。議員って凄いんですよ。相談してすぐに大宮の病院に姉は連れて行かれて、診察の結果、精神障害者2級と診断され、そのまま施設へ。その間、何故か私が姉の離婚届を出すなんてこともありました。

 

それから何度か施設は変わりましたが、姉は穏やかな日々を送っていたようです。テレビがほしいとかベッドがほしいとか言われる度に私の貯金は減りましたけど、一緒に暮らしていた頃の苦労を考えればね。

 

施設に入れて以降、私は姉とは一切会わず、電話で話したいと言われても断ってました。それくらい、嫌でした。心底、嫌でした。両親は月に2回くらい会いに行っていたかな? 先週の土曜日にも会いに行っていました。何度か両親と姉には金を渡して旅行にも行かせました。

 

まぁ、精神薬や市販薬の飲み過ぎで脳に深刻なダメージを負い、完治は不可能、自力で日常生活を送ることも不可能と言われてましたから、このタイミングで苦しまずに姉が逝ったことは、姉にとっても、両親にとっても良かったと思います。

 

私は、姉が原因で結婚を諦めたり、会社も何度か辞める羽目になったり、3桁万円の出費もあったりで、正直、言葉にできないくらいの憎悪がありましたよ。自分の性格の無駄に苛烈な部分は、間違いなく姉の影響です。

 

姉がいなかったら、姉がまともだったら、まったく違った、もっと良い人生を送れていたかもしれません。それでも、今までの人生も、今の暮らしもそう悪いものではない、と思えるくらいの気持ちで、今はいます。

 

落ち着いたら、お世話になった人たちに報告がてらお礼をしにいってこようと思います。

GIANTのEscape R Dropを買ってみた。

ロードバイクへの憧れが捨てきれず、だがしかしで大金を払うのはなぁ~と躊躇してました。

 

というのも、

  • 大洗は道が悪い。あちこちガタガタ。
  • 自転車用道路が歩行者に占拠され、道も悪い。
  • 松ぼっくりトラップがあちこちにある。
  • 坂道が多すぎる。

というわけで、どう考えてもクロスバイクの方が向いてるんですよね。

 

で、買っちゃいました。台湾の有名メーカーGIANTから発売されている、ロードバイクみたいな見た目のクロスバイク、Escape R Dropです。

ちなみに、この画像を撮影した後にサドルはかなり上げました。片足のつま先が着くくらいがちょうどいいみたいです。

 

ギアは本物のロードと同じような感じです。いつか電動変速に手を出したいなぁ。

 

ブレーキはVブレーキです。ロードバイクだとキャリパーかディスクらしいですが、今回は前傾姿勢とドロップハンドルに慣れるのが主目的なので、と言い訳しておきます。後で油圧ディスクのバイクを買った時に感動を得られるでしょうし。多分。

 

ハンドルはスペーサーの位置を買えて下げました。ちょっと不格好ですが、切りません。

 

この自転車、補助ブレーキがついてます。便利かな?と思いきや、それほどでもなかったり。ブレーキを引いた後のレバーの戻りがいまいちなんですよね。

 

フロントは2段でだいぶ直径さがあります。調整不足で重い方のギアにするとディレーラーにチェーンが干渉してしまいます。
※レバーで調整可能でした。

 

リアは8段。今のところ不満はなし。

 

テールランプはGIANTの純正をつけてみました。なかなか良い感じです。USBがType-Cだったら完璧でした。ワイヤーロックはちょっと固めなのでもう一つ鍵はつける予定です。

 

最初から普通?のロードバイクを買うのも良いでしょう。もう少し金を貯めて。ただ、どれだけ乗るかわかりませんし、楽器と同じで安い方があれこれできますからね。あと、速く走ることが目的ではなく、運動不足解消が主な目的ですから、これでいいんです。

 

これとTREK FXで自転車のメンテ方法とかを学んで、知識と経験が深まったら良いバイクを買えばいいかなと今は考えています。

 

調べてみたら、タイヤとチューブを交換するのがおすすめらしいです。しばらく乗って、今のタイヤがヘタってきたら交換しようと思います。

 

ほなほな。

クロスバイクを買ってみた

システムエンジニアは運動不足になりがちです。テレワークを始めてからさらに運動不足になり、東京にいた頃はあちこち出歩いたり、サッカーやフットサルをやっていたのに、こちらではそういった機会もなくなり、どうしたものかと悩んでいました。

 

そんなとき、いつもお世話になっているリサイクルショップはじめちゃんで2台の自転車が売りに出されました。1台はクロスバイクでもう1台はMTBでした。

 

両方買っちゃうか?とアホなことを考えながら、結局、TREKの7.4 FXというクロスバイクを購入。

 

同時にヘルメットも買いました。ヘルメットは実際につけてみてから選ぶことをおすすめします。

 

ライトとテールランプは純正にして、鍵は前に持っていたものから移植、あとメンテをお願いしたお店の店員のおすすめでサドルカバーもつけました。

 

が・・・

 

乗ってません。

 

とあるお店にメンテを依頼したんですが、いくつか問題が見つかって、7.4 FXは再点検に。

 

 

 

 

 

代わりにGIANTのEscape R Dropを買いました。(ぇ

 

そちらはまた後日・・・

 

ほなほな。

コロナに再感染してました。

去年の7月、東京から大洗に移住した一ヶ月後にコロナに感染しました。

 

その頃はさすがに知り合いがほとんどおらず、某紅茶専門店の店主がポカリを差し入れてくれた時はヌクモリティに涙しました。あと、Amazonにはお世話になりました。

 

一回目の症状はこんな感じでした。

  • 39度くらいの熱が3日続いた。
  • 発熱時は喉の痛みはなし。
  • 熱が下がった途端、焼けるような喉の痛みが2週間続いた。
  • 同じ期間、絶え間ない下痢が続いて眠れなかった。
  • 同じ期間、頭痛に悩まされた。
  • 異常に粘度が高い痰が出て窒息しそうになった。

 

ニ回目に関しては、ずっと大洗にいて、特に出かけたりもしていなかったので心当たりはまったくありません。本当に、どこで感染したのやら。

 

今回の症状はこんな感じでした。

  1. 頭痛、鼻水にちょっと悩まされ、疲れやすくなった気がする。
  2. 2日目、37℃→38.5℃→39.5℃→40℃オーバーと熱が急激にあがる。
  3. 友達が検査キットを差し入れてくれて、陽性と判明。
  4. 3日目、熱は34℃台に下がる。喉の痛みと咳に悩まされる。
  5. 4日目、上の症状に強い倦怠感が加わる。粘度の高い痰が出る。

今回は前回より症状は軽かったです。違いは、前回は高熱が出ても元気だったのが、今回はぶっ倒れたことくらいですかね。4日で体重が3kg減りました。(笑)

 

最近は、熱が下がって5日過ぎたら外に出てよいそうです。HER-SYSも9月末で停止になってるんですね。

 

今回は、某紅茶専門店店主や友人達に紅茶、ゼリー、お粥、OS-1、薬などを差し入れてもらい、本当に本当に助かりました。熱が下がっても倦怠感が酷くて自炊する気になれませんでした。一週間以上過ぎてもまだ本調子じゃないというか、肺活量がかなり下がった感じがしてしんどいです。疲れが抜けないのはそれが原因かなぁ。

 

友達に言われましたが、もはや貰い事故みたいなもんでしょうね。気をつけようがないです。

 

とりあえず、週末は東京に戻って主治医に会うので、いろいろ相談してみようと思います。

 

ほなほな。

YAMAHA SLG200S

9月に入ったと思ったら、もう23日ですか。時間が過ぎるのは本当に早いです。気がつけば日の入りも早くなり、毎日真夏日みたいだったのが涼しくなり・・・

 

今回はYAMAHAのサイレントギター、SLG200Sの紹介です。買ったのは少し前なんですが、調整が終わって退院してきたので紹介します。

 

サイレントギター自体は2本目で、前に買ったのは・・・10年くらい前だったでしょうか。知り合いのミュージシャンに交換してくれと言われて手放したような気がします。

 

全景。ちなみに買ったのは水戸の島村楽器で、値段は7万円ちょいだったような。

 

ヘッド。良くも悪くもYAMAHAらしいと思います。嫌いではないです。

 

ヘッド裏。6弦と1弦のペグの上から板が貼ってあります。ネックとボディ?はマホガニー、指板はローズウッドです。

 

ボディはほぼ木製です。前のはもっとチープだったような気がします。

 

フレームも木製っぽい感じでつや消し仕上げになってます。

 

コントロール部分。チューナーがついている他、空間系のエフェクトも内蔵しています。前のはバッテリーが9Vだった気がするんですけど、これは単三電池を2本使う仕様になってます。

 

ボディ裏。ピックガードは樹脂製で、ACアダプターはボディ下部から挿す仕様になってます。

 

ジャックはストラトと同じタイプ。これはなかなか便利かも。

 

買ってみてまず気になったのは弾きにくさでした。ローでもハイでも何か気持ち悪いんです。

 

そこで、いつもお世話になっている浅草のNaked Guitar Worksに持っていったところ・・・

  • ナットの溝がガタガタで弦ごとに高さがずれている。
  • ブリッジの高さがおかしくて6弦側が高い。

ということが判明しました。

 

ネックの調整だけではダメでした。結局、ナットの溝を調整して、ブリッジは斜めに削ってもらいました。YAMAHAのサイレントギター共通の欠点みたいです。今までYAMAHAの楽器は何本か買ってきて、ベースは今も使ってたりしますが、SLG200Sは悪い意味でYAMAHAらしくないと感じました。

 

調整したら、かなり弾きやすくなって、見た目も前のより良くなっていることもあり、お気に入りの1本になりました。派手にストロークでもしなければアパートで弾いても苦情は来ない・・・はず。多分。

 

機会があればナイロン弦モデルも買ってみたいところです。

 

なお、楽器の改造の方は、中国からパーツが届く気配がないため、遅延しております。

 

ほなほな。